日記

なんだかとっても太宰な話

こんにちは、ノート研究ライターeyecoです。

先日、たまたま目にして、衝撃。
そうかー、ついに、と。

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「毎日新聞」(2020.5.19)記事より一部スクショを。記事はリンクにて

▽毎日新聞

新型コロナ 太宰ゆかり「玉川旅館」閉館 千葉・船橋、創業100年の有形文化財 /東京 – 毎日新聞

▽千葉日報も。各社報じていましたね

太宰治逗留の老舗割烹旅館「玉川」が閉館 昨年の台風に新型コロナ追い打ち 船橋 | 千葉日報オンライン

海とショッピングモールと競馬場と競艇場と、幾つかの公園があるような、普通の街・船橋。市役所や消防署などの近くに、まるで隠れるようしてポコンと建っている老舗旅館が今なお営業していたということにもびっくりしたけれども、太宰治ゆかりの旅館だったという噂も本当だったのですね、と改めて驚きながらも、読んでいてなんとも切ない気持ちになりました。

終わりは、始まり。
なのだけれども、なんでしょうね、この、どことなく、さみしい気持ちって。

古いものをつよく握りしめていたって、過去に戻れるわけではないし、ましてや時を止められるわけではないんだけれども、”その時代が、その人たちが存在していた証” としてのモノがあることで、よりリアルに、それを五感で感じることができる。まるで自分とは全く関係ない世界の話、ファンタジーのようにすら感じる ”物語” が、突然いまを生きる自分と一本の線でつながっていくように思えたりする。

それって、すごいことだなー、と思う。
例えば、教科書に載っているモノクロ写真の人たちも、そうか、遡ると、例えばわたしの祖父母とか曾祖父母の時代には生きていて、普通に暮らしていたんだよな、とか。
当たり前だけど、なんか、不思議な感覚になるんですね、不思議、ほんと。

太宰治は、恥ずかしいことに、中学か高校の時に教科書で『走れメロス』の抜粋を読んだ程度で、ほとんど、まったく読んだことがなかったんです。作品よりも人として、ちょっと。。。。うーん、苦手かも。。。と先入観ががっつり入って手に取ることはなかったというか。(※先にプロフを読んじゃうからか)

それが、とある雑誌で企画モノの連載小説ページを担当することになったとき、事態が一変しました。その小説家が、太田治子氏。太宰治の娘さんであり、母上が『斜陽』のモデルだという話を聞いて慌てふためき、すぐに小説を買いに走りましたよ。。。駅前の本屋へ! 当時、わたしは20代半ばぐらいだったんですけど、前任者から引き継ぐ形で太田さんの新連載の担当となり、3〜4年ほど一緒にお仕事をさせていただきました。とても刺激的だったし、楽しく、懐かしい時間です。

わたしも会社を離れたし、いろいろあって、すっかりご無沙汰してしまっていましたが、この「玉川」のニュースを見たときに、まず頭を駆け巡ったのが、太田治子さんのことでした。どうしているだろう、お元気だろうか、あの、独特な空気感をまとう雰囲気にじっくりとひたりたくなり、思わず購入。

↓ 『斜陽』は99.9%お母様の日記、という。その理由が生々しい↓

明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子 (朝日文庫)

明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子 (朝日文庫)

  • 作者:太田治子
  • 発売日: 2012/06/07
  • メディア: 文庫

お元気だろうか、またどこかでお会いできたら。
そうしたら何を話そう。いまのわたしの状況を、太田さんならどういうふうに表現するだろうか。

ふとした行間で、そんな思いもふっと抱きながら、 エッセイを読む。
日常を独特な観点で捉えて書く面白さ、”太宰の作品” として世間の注目を浴びたご自身母娘についても冷静に分析しながら淡々と綴られる文章に、太田さんの作家魂を感じます。エッセイ、新鮮でした。

ちょっと突き放してモノを見る力。
これってできるようで、難しい。
特に身内のこととなると、なおさら。

読み進めていくうちに、うずうずと『斜陽』を読み返したくなってきて、本棚を探したんだけど、ない。ああ、もしかしたら、あっちの家にあるのか。。。。(涙)
わたしは読んでこなかった太宰治、あっちはたくさん持ってたっけ。コレクションにわたしの『斜陽』も紛れちゃったんだな。。。(別居あるあるですよね、これ汗)

でも、あっちのおかげで『夫婦善哉』、『グッド・バイ』、『ヴィヨンの妻』は読了。『人間失格』はまだ読む気にならなくて未読。そのうち、読む気になったら。。。笑

皆さんは、最近どんな本を読んでいますか?

eyeco